高松空襲 〜家族の肖像〜 

思い出
07 /03 2018
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明日、7月4日は高松空襲のあった日です。

祖母の生前に、繰り返し聞いていた話。
私は戦争を知らないけれど、祖母からのバトンをうけついだ者として、
今年もここに再掲させていただきます。

高松空襲shikoku_02_001
昭和20年7月4日午前2時56分, 突然空襲が始まり, 10分ぐらい経過したときには, 高松市の中心部は火の海となっていた。それでもB29による爆撃は, 執拗に続けられ, 爆撃が終わるまで106分を要したという。
このとき投下された爆弾は, 高性能爆弾24tと焼夷弾809t(100m2当たり約2.7kg 焼夷弾8個平均)というものすごさであった。出典:総務省ホームページ (➡こちら

わずか106分の空爆で、高松市街地の80%が焼け、
•罹災者/86,400人
•死者/1,359人




ものすごい数の焼夷弾がふってきて、まわりはすぐ火の海、逃げこんだ小学校のプールの水が熱湯となり、
「このままでは死ぬ」と出て、栗林公園横の大叔母(祖母の姉)のお寺まで逃げのびて助かったそうです。
↓「高松市街全図」(文字も今と逆向きですが、地図も北が下になっています(@_@))
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高松空襲で写真は焼けてしまったのですが、被災しなかった大叔母が持っていた戦前の写真です。
↓「昭和19年 祖母36歳、母16歳 (撮影:栗林公園内 岩佐写真館)」
昭和19年20130713 - コピー2 IMG_20180701_0001.jpg
写真は古いアルバムから移したらしく、祖母か大叔母のどちらかが書いた覚書と剥がした跡がありました。
(今新町の家も今はなく、「中村」の名前も途切れたのでここに残しました。)


空襲の中を、祖母と母は二人で逃げ、大叔母のお寺で再会した祖父はその6日後に亡くなり、
戦後を祖母と母の二人で生き抜くことになりました。



その祖母も両親も亡くなった今、
我が家のフォトスタンドには娘がお婿さんとほほ笑む写真が飾られています。




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合歓木(ネムノキ) 花言葉は「歓喜」「胸のときめき」  撮影日:2018/06/23 



若い人が戦地に行くことがないよう

世界が戦火にみまわれることがないよう

2018年の7月に祈りをこめて





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