秀吉が愛した ・・・ 醍醐のさくら
写真日記
撮影日時 2018/04/07 12:34:29
豊臣秀吉が愛した「さくら」をみに、京都 「醍醐寺」に行きました。
しだれ桜、ソメイヨシノ、山桜、八重桜など数種類、約1000本の桜が3週間かけて咲くため桜を長く楽しむことができると聞いていましたが、
もう終わってました(-_-;)
咲いているのはほんの数本だけでした。
宅配牛乳会社主催の顧客旅行で、滞在時間がわずか1時間の駆け足観光なので、記録写真です。

醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある仏教寺院、真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。京都市街の南東に広がる醍醐山と笠取山に200万坪以上の広大な境内を持つ。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。(ウィキペディアより)

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↓国宝の五重塔は、936年、醍醐天皇の菩提を弔うために建立され、951年に完成した京都府最古の木造建築物です。

↓三宝院庭園。 秀吉自らが基本設計したというお庭。 天下人になった気分でみていますね(^^)

醍醐の花見は、豊臣秀頼・北政所・淀殿ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の女房女中衆約1300人を召し従えた盛大な催しで、九州平定直後に催された北野大茶湯と双璧を成す秀吉一世一代の催し物として知られています。
参加した女性たちには2回の衣装替えが命じられ、一人3着ずつ着物が新調され、衣装代だけで2015年現在の39億円に相当する金額がかかったそうです。
この華やかな花見ののち、秀吉は約5か月後に没します。
「露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた 夢」 辞世の句
集合時間に遅れないよう急ぐ途中、
土塀の前の桜をみて、
奥村土牛の描いた桜はここであったと思い出しました!!!
「奥村土牛 『醍醐』 1972(昭和47)」については、「山種美術館のHP」のコレクション、作品紹介をごらんください。
あーゆっくりみれないのが残念!

人生は儚く 桜のように散るけれど
桜はまた 来年咲くんだわ〜
葉桜になりかけた ポンポンみたいな桜がとてもたくましく みえてきました〜(^^)/
また いつか





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