鶴ヶ城公園
小さな旅
撮影日時 2023/05/17 10:09:39(Pモード、1/400秒、F:13、ISO:400)
2023年5月の旅
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鶴ヶ城(会津若松城)は至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名しました。
慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として知られるようになりました。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建されました。(引用元)

ちょうど2023年4月から天守閣がリニューアルOPENしたばかりです。
ちょっと趣には欠けますが、鉄筋コンクリートの作りで天守まで上がりやすい作りになっていました


手前の瓦は天守閣の赤瓦。低温や積雪に耐えられるように、保科正之の命により鉄分を多く含んだ釉薬を用いた赤瓦を用いた天守閣を見ることができるのは、国内では鶴ヶ城だけです。
お城にくると、ブラタモリの影響を受け石垣を撮ります!

苔むした石!
そのはず、天守は壊されても天守台の石垣は今から約400年以上前の、蒲生氏郷の時代に造られたものが残っています♪
自然石を加工せずにそのまま積む「野面積み」と呼ばれ、緩やかな傾斜は直下地震にも耐えていました。
この天守閣は、昭和40年(1965) 明治時代初期に撮影された古写真をもとに外観復元されたそうです。
↓日本人写真師の小山弥三郎が撮影(明治5年5月14日から16日の間であると特定できそうと)
写真の著作権保護期間は作者の死後70年間なので画像をお借りしました。

凄まじい戦禍のあとが残っています。
写真の力はすごいですね。
ちなみにわが讃岐国の旧幕府方高松藩は戦わず、家老2名に切腹を命じ、降伏に及びました。
NHK大河ドラマ「八重の桜」を憶えていますか?
戦いに敗れお城を去る時に詠んだ歌です。
「明日の夜は何国の誰かながむらんなれし御城に残す月影」
鶴ヶ城城址公園は約69,000坪の敷地内に、約1,000本のソメイヨシノの桜が植えられ、「桜の名所100選」に選ばれています。
日本人同士が戦った戊辰戦争はわずか155年前の事です。
#鶴ヶ城
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