仏生山散歩  <#大衆劇場「仏生山」  #劇団紀伊国屋  #四国テキスタイル>

写真日記
08 /07 2018
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撮影日:2018/07/28




「琴電の 仏生山車両工場」での撮影実習(→前編、→後編)を終えて、
レトロ車両 - 3000形 - 300号の向こうの通りを左に曲がり、駐車場へと急ぎました。
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途中でみつけた看板にびっくり、、、
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「大衆劇場 仏生山」!!! 
(ホームページがありました→コチラ

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仏生山は祖母の生まれた町です。
法事の折に行き、子供のころは菊人形を見によく連れてきてもらったのに、大衆劇場のことは知りませんでした。

↓古いアルバムから 「菊人形」をみている、姉、大伯母、私、はとこ、祖母
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そもそも大衆演劇って、、、なぜわざわざ「大衆」と表記しているの???


大衆演劇(たいしゅうえんげき)とは、日本の演劇におけるジャンルの一つ。一般大衆を観客とする庶民的な演劇のこと。一般的には「旅役者」と呼ばれる劇団に当たる。


いつものwikipediaの「大衆演劇」で演劇の歴史をみると、

江戸時代
数多く存在した旅役者の一座のうち、江戸においては中村座・市村座・河原崎座のみ、官許され常設の芝居小屋を持つことができた。この江戸三座を「大芝居」と呼ぶ。
これに対し、寺社境内などで演じられたものを「小芝居」と呼ぶ。
江戸の他、大阪・京都でも上記のような大芝居、小芝居の区別が生じた。

大芝居が幕府の保護あるいは監視のもと、伝統と格式を追求し練り上げていくのに対し、小芝居は伝統や格式よりも、より派手に見世物的に演じることを主体とし、庶民に娯楽を提供する傾向にあった。

大芝居、小芝居とは別に、江戸・京都・大阪の3都市以外で全国を回る旅役者も変らず存在していた。これらは「旅芝居」と呼ばれた。

明治時代、
開国した日本は「諸外国に誇れる総合芸術を」と大芝居に目を向け、また大芝居側もより堅実で高度な芝居をしたいという、双方の利害が一致し、大芝居の近代化が図られた。
こうして、明治初年から20年代にかけて演劇改良運動が起こる。
大芝居は明治政府と松竹により保護、「国劇」と認知され、大芝居とその他亜流(小芝居、旅芝居)の明確な線引きが生まれることになる。
大芝居は「大歌舞伎」、小芝居は「中歌舞伎」という呼び名がここで生まれた。大歌舞伎はこの後、今日の「歌舞伎」へと進化していく




大衆劇場「仏生山」、7月の劇団「劇団紀伊国屋」さんのHPは(→コチラ)



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昭和のノスタルジーを感じさせる街並みを歩きながら、

映画「浮草」の場面が浮かんできました。
(「浮草」は、宮川一夫撮影によるカラー映像が旅役者の世界の情緒を際立たせる作品。監督:小津安二郎)


国の保護をうけてない「大衆演劇」というのは、本当の意味での自由な表現者なのかもしれません。


今も大衆演劇が息づく町
「仏生山」
今度行ったときは「大衆劇場」に寄ってみたくなりました




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