「てくてくMAP」で近江八幡を歩く♪

小さな旅
11 /28 2017

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撮影日時 2017/11/19 13:14:14


一年に一度、
大阪、徳島、香川で暮らす学友三人が、どこかの駅で落ち合い、一泊旅行をしています。
今年は滋賀県大津市の堅田駅で待ち合わせました。
1回:「佐川美術館」からはじまりました♪
2回:国宝・彦根城
3回:「ラ コリーナ近江八幡」に行くといいよ!



「ラ コリーナ近江八幡」から、観光案内所のデキル女性事務員さんから頂いた「てくてくMAP」を片手に、近江八幡市内を歩きました♪
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近江八幡の町並みは、天正13年(1585年)に豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が八幡山に城を築いたことに始まります。
秀次の楽市楽座等による商工業の発展政策は、その後の近江商人の活躍の原動力となりました。

秀次は、後に関白職を継ぎましたが、秀吉に秀頼が生まれたことにより謀反の罪を着せられ自害させられています。
32歳であったそうです。

秀次のあとをついで京極高次が城主となりますが、わずか5年後の文禄4年(1595年)に廃城となります。
城下町商人としての特権は失われましたが、船や街道を利用して多くの人や情報、文化が入ってくる地の利を活かし、その先進性と自立的な商法により八幡を本店として江戸や大坂に出店を設けるなど活躍していきます。


↓新町通り(近江商人の町並み)
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↓右下は、お菓子の「たねや」さん 日牟禮八幡宮の境内にあります。
近江八幡から全国へ旅立った近江商人たちも、出立前や帰郷の折には必ず日牟禮八幡にお詣りしていたそうです。
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もうひとつ、近江での目的はヴォーリズ建築をみることです。

見つけました!
↓「旧八幡郵便局」
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ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories、1880年10月28日 - 1964年5月7日)は、アメリカ合衆国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家。
建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。(Wikipediaから)




↓上左:アンドリュース記念館、上右:近江兄弟社メンソレータム資料館(休館でした(-_-;))
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下左:ヴォーリズさんの銅像(少女がお花をあげています) 
下右:自販機もメンソレータムです(@_@)


なぜメンソレータム資料館に興味をもっているかというと、
町でみつけた「町名」
これです(^^)
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私達三人が学んだ学校は、「薬を創る人間を育てる」のが学校のポリシーでした。
学校の期待にはそえなかったけれど、
滋賀県にはなぜか懐かしい気持ちがわいてきます。


滋賀県、近江八幡の南に位置する甲賀と、隣町の三重県伊賀付近は、古の時代(飛鳥時代)から薬草の産地でした。
倭(大和)の王家の薬はここのを使っています。
松阪・近江商人の行商は薬売りから始まったと言われています。
行商人の姿で各地を歩き、諜報収集部隊としての忍者との関わりも深いのです。
甲賀忍者は忍術の流派の中でも薬の扱いに長けており、今も甲賀に製薬会社が多いのはその名残です。
(すみません、ついつい調子に乗って語ってしまいました(^^♪)



「てくてくMAP」で近江八幡を歩く♪はこれで終わりです。

私には影の薄かった秀次ですが、よい仕事をしていたんですね!
もっと知りたいなぁ~
あたらめて近江の豊かな町並みの写真をみなおしました(^^)/

↓「八幡掘」
秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけました。
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さあ京都駅まで最後の琵琶湖線です

つづく

《引用サイト:近江八幡観光物産協会
追記:昨年の大河ドラマ 真田丸 で秀次を演じていたのは、元うたのおにいさんの新納慎也さん、三谷幸喜の書いた秀次は「殺生関白」などではなく、近江で善政をひいた秀次のイメージでしたね。さすが三谷幸喜!




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バナーは「たねや」さんでいただいたお饅頭(1個80円でお茶まで付いています♪)
器がなつかしい竹皮の舟皿でした




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