見ごろで~す♪ 「岩田神社の孔雀藤」
写真日記
友達 「今年は連休前に行こう!」
↓これまで行った3回はちょっと遅くて、今年こそはと思っていたら新聞に見ごろの記事がありました♪
2016/5/4 「終わってた岩田神社の孔雀藤」 ➡こちら
2015/5/4 「タイミング」 ➡こちら
2014/5/4 「岩田神社の孔雀藤」 ➡こちら
で、4月29日(土)に行ってきました~
まんのう公園の記事も未完ですが、今回はタイムリーな香川情報を心がけました(^^)/

岩田神社のフジは樹齢800年超とされ、1本の幹からフジ棚いっぱいに広がっています

そう、孔雀が羽を広げるごとくです♪
↓新聞記事が効いたのか、神社前の道は車で埋め尽くされていました(^_^;)

↓藤は いいタイミング♪

↓白いのは これから咲くみたいですよ♪

↓藤棚の下ではコンサートがありました♪
演奏:瀬戸内振り逃げダイアモンズ
構想3年の末、2015年、ひろせしょうた、ウクレレキイチの2人で結成。 普段は野球部の補欠がさまざまな楽器を駆使し、JUG(ジャグ)を中心に演奏する。部員も増員中。(瀬戸内振り逃げダイアモンズのフェイスブックから)


岩田神社 由緒(香川県神社誌)
治承二年(紀元一八三八)八月の創祀。舊くは飯田郷(鶴市、郷東、飯田、檀紙)四ヶ村の産土神にして現今の檀紙村大字御厩も亦氏子たりしこと明なり。
社領二石二斗ありて国守松平氏の寄進する所とす。
崇徳天皇當国綾松山に遷らせ給ひし時、唐渡左門雅基従ひて當国に来る。 雅基の先は後漢霊帝四世の孫高貴王なり。
高貴王丹波国に移り、其の裔康頼丹波宿禰の姓を賜ひ醫博士となり、子孫世々典薬頭たり。
故を以て雅基崇徳天皇に従ひて讃岐に来る。
天皇崩御の後、雅基の子助左衛門尉信宗飯田郷に移住し當社を創立す。
(難しい、、、平たく言ってしまうと、保元の乱で惨敗し、讃岐に流された崇徳天皇についてきた人の子が岩田神社をつくったみたいです(^_^;))

孔雀藤は近年、樹勢の衰えが懸念されており、地元の弦打校区コミュニティ協議会が接ぎ木や挿し木を行い、地区内の小学校や公園などに植樹。地域ぐるみで子孫を育てているそうです。
岩田神社のもうひとつの楽しみは、境内のハナミズキ

ハナミズキの花言葉は
「durability(永続性)」
こうしてまた 友人と「孔雀藤」を見に来ることができたことに感謝した 春の一日です
また 来れますように
参考:四国新聞ニュース2017/04/28

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