「昭和8年の高松住宅明細地図」から

写真日記
08 /16 2016
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ブログを書いていると、思いがけない方向に物語がつづくことがあります。
今日はそんなお話しです。

昭和20年、日本各地に雨のように焼夷弾がふり
7月4日の高松空襲では高松市街地の約80%が焦土と化し、1359人が死亡しました。

姉のお店のブログに書いた「高松空襲の記事」に「昭和8年の高松住宅明細地図」をアップしたことがあります。
高松市の岩佐仏喜堂さん(仏壇仏具屋さん 創業 : 明治5年)でいただいた地図です。
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↓家、ライオン館、三越と中央郵便局、香川県庁、玉藻城です。
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お店が今年の6月末に閉店することを知った読者の方が、名古屋から娘さんとともにお店に来られました。
姉がお話をうかがうと
ご自分のルーツを探していること、ブログで古い地図をみて閉店する前にお話ししたいということでした。
それならばと、地図の原本をもっているはずの「岩佐仏喜堂」さんをご紹介しました。
後日、ご自分のルーツを地図の中に見つけ喜ばれたことを聞きました(^^)/


昨日、8月15日は終戦記念日でしたね。
戦争の怖さ、愚かしさ、平和を守ることの重さを実感する日でした。

古い地図はそこに生きてきた市井の人々の暮らしを伝えています。
それとともに焼き尽くされた無念が伝わってくるようです。

そして今日、
8月16日は「女子大生の日」だとか
日本初の女子大学の創設に携わった人物、
NHK朝ドラ『あさが来た』のモデルにもなった広岡浅子さんのメッセージを

《今後は国の政治であれ、国際間の関係であれ、この軍国主義を捨て、愛をもって互いに仕えあう境地に進まなければなりません。日中間をはじめ、日米間にも永久の平和が結ばれるようにと祈ってなりません》(「婦人週報」1919年1月17日号)

このメッセージは活かされることなく、1941年 日本は太平洋戦争に突入しています。


たとえひとりの小さな意思であっても「平和への決意」だけは守りぬきたいとおもいます



今日の一写は、15日の朝、家の前を掃いていると飛んできた蝶
 カメラを取りにもどっても まだいました(^^)/
 現像してよくみると羽が欠けています
 一生懸命に生きています
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