74年前 高松に焼夷弾が雨のようにおちてきました

写真日記
07 /04 2019
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7月4日は高松空襲のあった日です。

高松空襲shikoku_02_001
昭和20年7月4日午前2時56分, 突然空襲が始まり, 10分ぐらい経過したときには, 高松市の中心部は火の海となっていた。それでもB29による爆撃は, 執拗に続けられ, 爆撃が終わるまで106分を要したという。
このとき投下された爆弾は, 高性能爆弾24tと焼夷弾809t(100m2当たり約2.7kg 焼夷弾8個平均)というものすごさであった。出典:総務省ホームページ (➡こちら

わずか106分の空爆で、高松市街地の80%が焼け、
•罹災者/86,400人
•死者/1,359人
•負傷者/1,034人
•行方不明者/186人



この日になると繰り返し話してくれた祖母ももういません。
「雨のように焼夷弾がおちてきた」のだそうです。


先日のテレビ「100分de名著」は、
小松左京スペシャル<原点は「戦争」にあり~「地には平和を」~>でした。
司会の伊集院光さんが「街頭インタビューでは、日本とアメリカが戦争したなんてことも知らない若者もいっぱいいるわけで、、、」
というコメントに絶句しました。
そこまで戦争の歴史が風化しているのかと、、、



房前公園で、風でゆれるヒメジオンにとまる白い蝶をみました。
IMG_503520190630B fs



今日は 小さな命がとてもいとおしく思えます


<- Imagine- ジョン・レノン >
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people living life in peace

想像してごらん 国境のない世界を
難しいことじゃないさ
殺すことも死ぬ理由もない
宗教も存在しない
想像してごらん 平和の中で生きているみんなを




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高松空襲 〜家族の肖像〜 

思い出
07 /03 2018
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明日、7月4日は高松空襲のあった日です。

祖母の生前に、繰り返し聞いていた話。
私は戦争を知らないけれど、祖母からのバトンをうけついだ者として、
今年もここに再掲させていただきます。

高松空襲shikoku_02_001
昭和20年7月4日午前2時56分, 突然空襲が始まり, 10分ぐらい経過したときには, 高松市の中心部は火の海となっていた。それでもB29による爆撃は, 執拗に続けられ, 爆撃が終わるまで106分を要したという。
このとき投下された爆弾は, 高性能爆弾24tと焼夷弾809t(100m2当たり約2.7kg 焼夷弾8個平均)というものすごさであった。出典:総務省ホームページ (➡こちら

わずか106分の空爆で、高松市街地の80%が焼け、
•罹災者/86,400人
•死者/1,359人




ものすごい数の焼夷弾がふってきて、まわりはすぐ火の海、逃げこんだ小学校のプールの水が熱湯となり、
「このままでは死ぬ」と出て、栗林公園横の大叔母(祖母の姉)のお寺まで逃げのびて助かったそうです。
↓「高松市街全図」(文字も今と逆向きですが、地図も北が下になっています(@_@))
IMG_09052015.jpg


高松空襲で写真は焼けてしまったのですが、被災しなかった大叔母が持っていた戦前の写真です。
↓「昭和19年 祖母36歳、母16歳 (撮影:栗林公園内 岩佐写真館)」
昭和19年20130713 - コピー2 IMG_20180701_0001.jpg
写真は古いアルバムから移したらしく、祖母か大叔母のどちらかが書いた覚書と剥がした跡がありました。
(今新町の家も今はなく、「中村」の名前も途切れたのでここに残しました。)


空襲の中を、祖母と母は二人で逃げ、大叔母のお寺で再会した祖父はその6日後に亡くなり、
戦後を祖母と母の二人で生き抜くことになりました。



その祖母も両親も亡くなった今、
我が家のフォトスタンドには娘がお婿さんとほほ笑む写真が飾られています。




IMG_9804 FS20180701
合歓木(ネムノキ) 花言葉は「歓喜」「胸のときめき」  撮影日:2018/06/23 



若い人が戦地に行くことがないよう

世界が戦火にみまわれることがないよう

2018年の7月に祈りをこめて





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肖像画 ~高松空襲によせて~

日本画
07 /05 2017
2017000023440624.jpg
「time goes by」


昨日は、高松空襲のあった日でした。
72年前、37歳の祖母と17歳の母は焼夷弾が降ってくる中を逃げたそうです。
家が焼かれ、人が死んでいるのを見ながら逃げたそうです。

仏間の母の写真が陽にあたり劣化し、画像が消えていっています。
ふと、母の肖像画を描こうと思いました。
タイトルは「16歳」

そう、空襲で父親も家も失う前の16歳です。
自宅にあった写真は全て消失し、親戚にあった数枚だけが残りました。
写真の中ではにかむ、少女らしい真っ直ぐな表情を描き残したいと思いました。
20170703IMG_0549_edited-1.jpg

1945年(昭和20年)7月4日の未明、116機のB-29が高松市の上空に飛来。午前2時56分から同4時42分まで、焼夷弾などの爆撃を続けた。市街地の約80%が焦土と化し、1359人が死亡。高松赤十字病院は、絨毯爆撃によって全焼。入院患者は当直していた従業員の看護婦、医師等と共に全滅したとみられる。高松市立四番丁小学校も全焼。
(引用:Wikipediaから)  註:四番丁小学校は母の母校



戦争はいやだ

なんだか最近は危うい感じがしています。
たとえば、「共謀罪法」
一般人は対象外と言うけど、
政府にとって都合の悪いことを言う人は、一般人でなくなるのかもしれません(-.-)

(参考:「池上さん、「共謀罪」「テロ等準備罪」の違いは何?」➡こちら)


IMG_4911_edited-1.jpg

あの戦争を直に知る日本人はもう2割になったそうです
私が一枚の写真でしか知らない祖父の命日の7月になると
祖母が繰り返し話してくれた《高松空襲》のこと

私も繰り返し語っていきたいと思います
平和を希求するものとして




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